すげぇ
ずっと、自分を下だと思っていた。
このブログの内容で、上に立とうとしていたのかもしれない。
すべての存在は、上も下もなく、すげぇだけ。
なぜもこんなに、上に立とうとしていたのか。
社会的にみると、私の存在はかなり下にいる。自分でも、下だと思って嫌だった。
その分を取り返そうと、ダレも答えに辿りついてない所までいこうと、必死だった。
それで上に立った気分で、いたように思う。その状態で、安心出来たように思う。
あまりに必死だった自分を、もう一人の自分が、気づく。結局上に立ちたいだけかと。
どこかの復興担当大臣と、まるで変わらない。結局深い所まで毒されていた。
生命はみんな、生きたい。生き残りたい。それでより優れるコトを望む。
根底の欲求。さらにヒトは数字を使う。数字に置き換え、順位を付ける。
順位を付ければ、あからさまに上下が出来る。さらには肩書きや身分で、上下を誰でもが分かるようにする。
その大流の中で、相当深い所まで毒されてしまっていた。自分が上か下かが、気になって仕方がない。
あまりに必死に、上に立とうとばかりする自分の滑稽さを見て、本当に上と下があるのかと、疑いが出てくる。
毒されているだけで、本当は上下などないのではないかと。
どこを見回しても、上も下もない。ただそれぞれに、シッカリ光っている。
生命ばかりではなく、存在するモノすべて、それぞれの色に光りすげぇ、のではないかと。
上下を付けた方が、面白みがある。確かにその側面はある。
でも、あらゆる存在するモノが、それぞれにすげぇと分かった方が、面白い。
表面的な、身分や肩書きでは分からない、触れあって分かる味わい。
少し深い所にある、それぞれのすげぇ。味わいの輝き。
同じすげぇ奴同士なら、集って順位を付けてもイイ。もちろん、集っただけでも高め合える。数字にしせず、順位を付けないというのもなおイイ。
この世の中のモノは、みんなペッタンコで真っ平ら。自分も、他人も、星々も、石コロも。
それぞれがそれぞれの特徴を持つ、すげぇ存在。ヒトの知能では、手に負えないほどのバラエティの多さ。
数字や肩書きに毒されて、深い所の本当の姿を見失っていた。
この世は数字の世界ではない。数字は利用するモノ。毒されてはイケない。
本当の姿は上下も要らず、ペッタンコ。そしてみんなそれぞれにすげぇ。
他のヒトはみんな、上下にさいなまれ続ける。それは自分にも降りかかる。
でも、それは偽りの大流。自分はすげぇし、しょぼい。みんなもある所はすげぇし、ある所はしょぼい。
どんなに探しても、本当は上下なんてどこにもなく、ペッタンコ。ヒトだけが、上だ下だと気にしている。
他人がどういっても、自分はすげぇし、しょぼい。それを貫き通す。なぜならそれが本当の姿だから。
すげぇは、すべての存在。気にしすぎている上や下は、数字の誤用から出たまやかし。すげぇに包まれて生きられてる。それはとても幸せ。