なりたい
大人になっても、残る。
こうしたいは、おそらく一生続く。
こうなりたい、こうしたいという想いが、どういうワケか大人になっても残っている。
子供の時に想うモノとは、確かに質は違うかもしれない。
子供の頃は、魅力的に映るモノすべてマネてみたくなる。
次から次へ、なりたいモノは移り変わっていく。
子供の頃ほどでないにしろ、大人になっても揺れる気持ちは残る。
成れないという前提が付くけれど、大人も頭の中では、成りきっている。
頭の中で、いろんなモノになって楽しんでいる。それは子供も大人も同じ。
自分の役目とは違う、もう一人の自分。その自分がそこで遊べるから、普段の役目もこなせる。
こうしたいという気持ちは、どうだろう。これはもう一つの世の中。
現実の世の中とは違う、頭の中の世界。
現実の世界は、まるで変わってはくれない。頭の中の世界と、かけ離れている。
でも、昔と比べれば、かなり世の中は変わっている。
おそらく世の中を変えてくれた、ヒトが居る。そのヒトの頭の中にも、ずっとそうしたいという想いがあったに違いない。
変えてくれるヒトの後ろには、膨大な数のヒトの想いが、浮かばれるコトなく積もっていたと予想する。
ヒトの頭の中は見るコトは出来ない。でもその中には、強い想いがこもっている。
カタチになるコトは、少ない。でもほんの僅かずつ、時には大々的に切り替わる。
みんな望んでいる。でも、現実は変わってくれない。
いつも頭の中より、現実は遅れる。
現在は頭の中に比べれば、時代遅れ。次の時代はダレかの頭の中で、出来上がっている。
時代遅れの中に居る自覚が、変える妨げにならない、最良の方法かもしれない。
自分が現状に満足しているなら、それは世の中を変えるコトを、妨げている一要因かもしれない。
自分が、変えるコトを妨げてしまっている。その可能性も、実は高い。
なりたいは、未来。現状を時代遅れととらえないと、変わらない。維新の時は、確かに幕府を時代遅れととらえていた。