多分分かる世の中の事

主従逆転

奴隷の巻

道具は人に使われる。言ってみれば人に従うモノ。ただ、道具によっては主従が逆転するコトがある

あるじと従者。道具は従者であるべきもの。それが、まるで主のように振る舞うコトがある。摩訶不思議な現象。例えばパソコンなど、高齢者になるほど扱いにくいモノ。扱おうとするほど、どちらが主人だか分からなくなる。こんな現象は身近でも起きていると思う

さて、主従逆転には困った。なぜただの道具が主のように振る舞ってしまうのか。少なくとも道具自体に、主であろうとする気持ちは無い。人間の方が、勝手に従う側にまわるだけだろう。やはり摩訶不思議

道具を使いこなすという言葉がある。ならば逆に使いこなせない事もあるだろう。道具というのは、使うのに技術が要る。この技術がない者が道具を使えばどうだろう。道具はチカラを発揮出来ない。さらには危険を伴ったり、道具自体が壊れたり

道具を使うには技術が要るというのは確からしい。であれば、主従の逆転はどこから来るのか。考えられるのは、技術を持っていない者が従う側にまわる。技術を得ようとする時、従う側にまわるというコト。これは何をあらわすかと言えば、最初から主ではいられないってコト

人は最初から主だと思っているものだが、道具が使えないのなら主ではない。人間は沢山の道具を作ってきた。沢山の道具のあるじにもなってきた。ただそれにはひとつ条件がある。道具を使う技術を持つ事

道具を使う技術がなければ、主になる資格もない

道具を使う技術について、もう一つ思う事がある。もしかすると、奴隷になるべきではないかと。主になる者は、奴隷であるべきではないかと。あるじなのに奴隷とは、おかしなことを言っている。それは自分でも分かっている。でもこの考えは本気

道具を使いこなす者の振る舞いは、決してあるじの振る舞いではない。どちらかというとそのモノの奴隷。そして奴隷の意識が強い者ほど、見事に使いこなしている。実際、磨きのかかった技術を持つ者ほど、奴隷の意識でなお技術を磨き続ける

一流の人間ほど、奴隷。奴隷というスタイルが、一流になる条件なのではないだろうか。あるじという意識は、捨てた方がイイのではないだろうか。とても不思議だけれども、何か大きな扉が開いた気がする。とても重要な事に、気づいたような気がする

もしも運命に選ばれたモノが居たとしたら、それはあるじの振る舞いではない。奴隷の振る舞いだろう。うわつく事のない奴隷の振るまい。だから選ばれる。もしも一流の人間がいるとしたら、それは奴隷の振る舞いをしているだろう

人間の目的は、主になる事ではないように思う。その物事、世界の奴隷になる事、それが人間の目的ではないだろうか。人間にとって、何かの奴隷になる事は喜びなのだ。その喜びを否定して、人間は進化出来ない。今まで逆の方向を見ていた。成るべきは奴隷。向かうべきは奴隷の方向。未来は奴隷になる方に輝く

子供たちに伝えないとイケナイ。なんの奴隷になって生きていくか。その戦術を子供たちと練らないとイケナイ。大人達にも伝えたい。奴隷でイイじゃん!!グッジョブ!!ってコトをね

2010年1月31日〜2月6日までの週間トップ3を、わたし自身が選んでいます。よろしければお読みください。1位 おや 2位 あな 3位 ぶつりょうと ねむりでした。お読み頂きありがとうございます

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