魂の巻
植物って面白い。土の中にある根が、何十年後かに条件が揃えば芽を出したりする。それはまだ死んでいない事を示している。そこでちと考えたいのは、たましい
人の死というのは、生きられなくなった状態だろう。そこで蘇生がうまく行けば、まだ生きているとなる。技術の進歩と共に、蘇生の範囲は広くなり、人の死の範囲は狭まるのだろう
狭まっていくとしても人の死が無くなる事はない。少なくともある程度の期間で必ず死は訪れる。でも植物ならば、期間で死が訪れるというのはないように思う
さらには、根だけだったり、切った枝だけでも再生する植物もある事を考えると、根本的にナニかが違うようにも思う。一つの植物が、無限に増殖する事も可能
とても不思議だとしか、言いようがない。増殖した分だけ、魂も増えてしまうというコトになってしまうから。そんな事を考えると、植物に魂など無いのではないかとも思えてくる
魂制度というのが、植物にないとすると、どこから魂はあるのだろう。とてもバカな話だけれど、自分としては嫌いじゃないので、続行させてもらう
ヒトは死んだら魂が抜ける。魂は永遠の命で、また輪廻転生してくる。植物の場合、条件さえ揃えば、分身が永遠の命となる。とするなら、やはり魂は要らないだろう
魂は、永遠の命のために必要なのだろう。永遠の命というのがあるならば、死はただの形式でしかない。もしかしたら本当に死は形式なのかもしれない
そう考えると、植物も動物もみんな永遠の命を持っている。形式的な死を持って、やり直しがあるにしても、カタチを変えてまた生がある。死んでもまた生まれちゃうのかもしれない
とするならば、容易に増殖出来ない生命、ある期間で死を迎える生命には、魂があるというコトかもしれない。魂が永遠の生を保障している。そんな風に考えられないだろうか
ずいぶん、話がおかしな方に暴走してしまった。私は暴走が大好きだから、お付き合いしてくれるヒトには申し訳ないと思うし、ありがたいとも思う。というコトで、まだ続けたい
植物がほんの一部でも再生する。その再生した物は、個として別物になるのだろうか。ヒトは親から生まれた時点で、親とは別物だ。引き継ぐモノがあるにしても、魂は別物だろう
植物も、命として別物なのだろう。分かれた段階で、全て別物の命を持つ。別物でありながら、元の生物と完全に同じ特徴を持っている。そうやって個が未来に引き継がれていくのだろう
人の場合は、親から引き継いでいるとしても、まったく同じではない。それは個としてより独自性を示すだろう。それは沢山増殖出来る植物よりも、唯一しかいない尊い存在だと言えるように思う
尊い存在となった生命の死は、そこで全てを捨ててしまう事になる。ただ、魂として復活出来るのならば、尊い物も捨てずにすむ。来世にも引き継げるようなる
魂制度によって、引き継ぎが可能になっているのかもしれない。生きた経験は捨てずにすむ。永遠の命は、経験のための物かもしれない。永遠の命は未来に経験を繋げるための物。生命の記憶を残す物、そんな風に考えられる
もちろん魂があるかなんて分からない。分からないからこそ、分かる範囲で探ってみたくなる。今日はそんな話に付き合ってくれて、ありがとうございました。結局結論は出ないけれど、こんな切り口で考える事もたまにはイイように思う。それではまた
2007年7月の月間大賞を発表します。月間大賞は、やっぱりこれでしょう!いつもに決まりました。しつこいですが、また全文ここで出したいと思います
いつも
いつも、なければならないもの。
いつも、なければならないもの。自分なのダメな部分の居場所。
いつも、なければならないもの。相手のダメな部分の居場所。
いつも、なければならないもの。ダメな所を、踏まえて次に向かう力。
いつも、なければならないもの。立ち止まって考える気持ち。時間をかける余裕。
そう。いつもね。
