かきん
悪者になる。
無料でないから。
通信の中で、課金されるモノというのは、なぜだか悪者になる。
情報を売っていた紙媒体の、不調が続いている。
情報はネットで早く、しかも無料で手に入る。わざわざ紙媒体を買わない。それが原因と考えて間違いはない。
ネットの情報は無料。その感覚はある。テレビの視聴も無料。勝手に見るコトが出来る。
一度この無料の感覚がつくと、そこから課金する方には、なかなか行きづらい。
ただ、情報は勝手に精製されない。必ず人手が掛かっている。
人手が掛かって、そこに労働があるのにも関わらず、賃金が払われないのでは干上がってしまう。
利用者ならば、お客さんとして代金を払わなければイケない。
そう思うが、代金を払うとなると、それはそれで敷居が高い。
何よりも手続きが大変。もしも手続きが簡単になれば、あとは選ぶだけ。
買うか、買わないか。それは普通の買い物と変わらなくなる。
課金するという事が、悪者に思えるのは、まだ過渡期というコトだろうか。
全ての情報が無料であるという感覚が、有料にすると意地悪されている気分にさせる。
でもおそらくそれは、意地悪ではない。無料であるという感覚の方が、ズルいというのが本当かもしれない。
情報産業が、紙媒体からネットに移っていくとすると、そのズルさ自体を利用者が恥じなければ、先は暗いような気がする。
労働がある限り、そこにはそれに見合った報酬なり、賃金は支払われるべき。
そこを無視すると、無理が生じて、沢山のヒトの生活がおかしくなる。
最初は仕方がないとはいえ、もうそろそろ変わる時期かもしれない。
無料というのは、ズルいと改める必要があるような気がする。
タダの物にお金を払うのではなくて、労働に対して見合った報酬を払う意識を持つ。
その為には、ネット上にそれに携わったヒトの氏名や、経費を載せるコトも必要かもしれない。
見えなければ無いのと同じ。見えるコトで、そこに存在するコトが分かる。
作り手にとっても、買うヒトがいるというのは見えるコト。自ずと制作意識も向上していく。
その責任も、重くなっていく。それは、職業として当然の責任。
ネットはまだ最初の段階で、趣味やマイナーな領域にいる。制作者側も、利用する側もその領域。
でも、そろそろ次の段階に変わる時かもしれない。
無料にどっぷり使っている感覚を改める為に、労働しているヒトのイメージを提示するコトは必須としたい。
そして自分たちが、その労働に対して対価を払っているという意識を、持ってイイと思う。
場合によっては、最低価格を払ったあと、内容に応じて自由に料金を上乗せする自由価格が、出来るかもしれない。
つまりはボーナス。ダメな場合は、最低価格で構わない。利用者がジャッジ出来る。
コメントなどをつけられればさらに良い。良かったけど、今月はお金が無いので、すみません。というようなコメントも、もちろん良い。
デジタルは回線やサーバーが許す限り、いくらでも複製出来る。
ひとつの情報や、番組の複製は簡単。ともかく最低価格でも、沢山のヒトに見てもらった方がイイ。
ネットの世界では、利用者がオーナーになっていく。そういうシステムが構築されると予想する。
課金は、対価。利用者はオーナーであり、労働に対して報酬を払う。いずれ無料がズルくて、恥ずべきだと思う段階に入っていく。