ぷらいど
自分でなくなるのか。
自分で居続けられるのか。
プライドを守れば、自分でいられるのか。プライドを捨てると、自分ではなくなってしまうのか。
守るべきプライドとは何だろう。
プライドが表れるのは、拒みや、切り捨てる行動。
それにより守られるのは、カタチやクオリティ。
もしもプライドを捨てたならば、カタチやクオリティは保てない。
厳密には、カタチやクオリティが保てないと思っている。その方が表現としては正確。
実際にクオリティが落ちるかもしれないし、違うカタチでクオリティが保てるかもしれない。
そう考えると、プライドは固執なのかもしれない。
ひとつのカタチに固執して、他の可能性を探すコトをしていないのかもしれない。
クオリティは守らなければいけない。
でも、そのカタチでないとイケないのかは、疑問と言える。
カタチも無限にあり、その中で一番良いモノを選んでいるとは言えない。
おそらくは大して試していない。手近にあるカタチで済ませ、可能性を確かめてはいない。
プライドを持って保つべきは、クオリティ。クオリティとカタチはセットではない。
他のカタチの模索。固執をしては、その模索がおろそかになってしまう。
どこに居てどんな状況になっても、クオリティは守る。その場その場でのカタチの模索。
さらには、カタチにならない内側から湧いてくる、素のチカラ。
素のチカラは、場所も状況も選ばず、そのヒトを表現する。
自分である為には、素のチカラを鍛えた方がイイ。カタチに固執しなくても、素のチカラが自分にしてくれる。
クオリティも、素のチカラを鍛え上げるコトで、高く保つコトが出来る。
カタチに固執したプライドは、要らない。そのカタチはダレかの猿まねで、毒されているだけ。
カタチにとらわれないプライドで、素のチカラを磨き、クオリティを保っていく。
プライドは固執。自分であるコトも、クオリティも、潜在する素のチカラが担っている。自分の安すぎる、固執に反省。