きたい
ガチガチになる。
途端に、ガチガチになる。
ヒトから期待された途端、そのプレッシャーでガチガチになってしまう。
ヒトから求められるモノ。それに応えようとするので、混乱してくる。
ヒトから期待された瞬間から、自分の行動原理とは違う流れで、動かされていく。
それまで順調にいっていても、流れが変わってしまうので、ナニをすべきかを見失ってしまう。
自分だけの自分が、他人に振り回される。ナニをすべきか、自分を見失う。
他人が何を求めているかも、漠然としか分からない。自分がやろうとしているコトも、漠然としている。
それなりに一生懸命だが、そんなに明確には押さえていない、他人と自分。
その時に一気に不安になり、動かなければいけない所で、動けなくなる。
自分がどれだけ出来て、他人は自分に何を求めるんだろう。
まず、自分が他の人に期待する例を、考えてみる。自分が他人に期待する時、それは案外いい加減。
野次馬的に群がり、なんとなく尻馬に乗ろうとしているだけ。あくまで傍観者で、その想いは深くも強くもない。
数が多いほどにビビるが、みんなとても表面的なモノ。期待というモノ自体、とても身勝手で安っぽいモノ。
応援というカタチを取りつつ、ヒーロー的なそのヒトに、自分を投影させておいしい所を、もらおうともしている。
期待や応援するヒトは、とても身勝手で厄介。
本来はその場にいるだけですごいコト。後は自分のやるべきコトをすればいい。
自分には、今まで自分のやってきた以上のコトは出来ない。それ以上のコトや、やっていないコトをやろうとするので、おかしくなる。
やってきた以外のコトは、出来ないので切り捨てればいい。どうせ、期待や応援するヒトは、表面的な傍観者。
まともに受け止めては、損をするだけ。自分が出来るコトは、今までとその延長線上にしかない。
もがいても、その線からは逃れられない。自分の出来るコトなんて、その線一本分の範囲でしかない。
それだけでイイ。ヒトから期待や応援をされて、それ以上のコトをするから失敗する。
自分の出来るコトは、たった線一本だけ。自分が今までやってきた、その線上の範囲でしかない。
期待や応援をされて、浮き足だった時は、自分のしてきたコトを思い出し、その線の上に身を置く。
そしてそれ以上やろうとする自分を、あきらめ、切り捨てる。どうせ出来ない。ならば切り捨てて構わない。
みんなの期待は表面的で、いい加減。自分が出来るコトは、線一本分。そこさえ押さえれば、ガチガチにもならない。
もしそれ以上になりたいなら、本番までにやっておくコト。それしかない。やって、モノにしておくしかない。
ガチガチになんて、ならないでイイ。結局自分以上の自分なんてウソ。ウソをつくから、ガチガチになる。ウソをあきらめる所から、修正していきたい。